2010/03/18

三度目の正直

知っている人も多いと思うが『POPEYE』という雑誌がある。
ここ最近は極普通なファッション雑誌へと変化したうえに、なんだか書店やコンビニでも見かけなくなった気もするが、出版不況の2010年現在においても月一回のペースで発売されている雑誌だ。
この『POPEYE』という雑誌だが、少なくとも7~8年ほど前までは極普通なファッション雑誌という立ち位置ではなかった。ファッション込のライフスタイルな雑誌というか、必要なのか判断しがたい情報が載ってる雑誌というか、「え、今回って内容あるの?」という疑問符を抱いてしまう雑誌というか、とにかく昔はそういった曖昧なポジションの雑誌だった。
そんな雑誌を買うことにした最初のきっかけはもう覚えていないのだけど、受験前の中学生だった僕は購入した『POPEYE』の端っこに載っていたエッセイに心を打たれた。というか、笑い転げた。
そのページを書いていたのはリリー・フランキーという人だった。少し前にはココリコと共にTVに出たりもして、最近は東京ムードパンクス(だったかな?)なんてバンドもやっていたりする肩書きのよくわからない人だ(一応、基本的な肩書きはイラストレーターである)

小説を意識的に読むきっかけや大学で文章を書くという行為を学ぶ学科(でした、大学。なにも教わってないけど)を選んだ理由はまた他にあるのだけど、エッセイや雑文めいたものをわざわざ買って読むようになったきっかけは『POPEYE』のリリー・フランキーであり、その延長上で大槻ケンヂとかみうらじゅんとか吉田豪なんかを知ったり、今にして考えると明らかに前の三人とは違うんだけど、中島らもとか町田康を買ってみたりなんかもした。
(その当時、中島らもと町田康を「面白くねえ!」と思ったのは言うまでもない。というか、中島らもは今でも正直よくわかんない作品が多い。読んでないだけかもしれないけど)

そのあたりからの影響・・と言い切ってしまうと、なんだか僕としては大袈裟になってしまうのだけれど、ことBLOGなんてものに関しては基本的にエッセーみたいなものなのだから、出来る限り楽しく読めるものでありたいと思っている。できれば、いつかの僕のように笑って読んでくれれば嬉しいなぁ、と。そんな風に考えている。
なので、どんな話題もある程度は面白おかしく書き散らしたい。そういう意識はmixiの適当な告知兼用の雑記であれ、こんな場末のBLOGであれ、一応持ってはいるのだ。

が、場合によってはそんな意識が裏目に出ることも稀にあったりする。
今「長い」と思った人。ある意味で正解だ。何を隠そう本題はここからである。

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一度目のタイトルは『殺してやろうと思っていまーす』だった。
書いてる途中で笑えなさ過ぎて内容から全部消した。
どうやって殺したいかを質問する天使だか悪魔だかがいて、その質問に対し僕が張り切って回答&実行を妄想するといった内容で、その事柄が起こった当日ならではの怒りと憎しみが湯水のごとく溢れ出ていて、というか怒りと憎しみオンリーで笑えなさすぎて消した。
そのときの気持ちもあって、どうしても当日に書きたかったんだけど、なんだか公共に晒すべきものは書けない気がしたので、その日は諦めてbookoffでひたすら立ち読みした。


二度目のタイトルは・・色々問題がタイトルにあるのでほんのりオブラートに包むが『×××××××なんかよりシャ●グリラのほうが好きに決まってますよ。え、皆知ってるって?』という長めのものだった。
面白おかしくは書けたのだけど、なんか全然まったく関係ないネタ(昔よく行った地元のライブハウスがどうとか)が長々となりすぎた上に、中指立てる必要性がなかったり、DISるつもりがないとこまでタイトルの延長でDISってしまってるような感じになった気がして、とりあえずお蔵入りさせた。


で、三度目の正直が今書いているこれだ。
なんの話やねん!と関西弁で突っ込みいれたくなる人もいると思うが、巷で話題騒然の鉄板ネタ『サ●マイ閉店騒動』の話である。
既にこのBLOGでふざけた社長の言動や事の始まりについて少し書いたりもしたし、ツイッター上ではRTの連続で軽い祭と化していたので、なんだかんだ大半の事情を知っている人も多いと思う。
既にツイッター上でも情報が出回っているのでこれも書いてしまうが、元々この騒動は『家賃滞納による家主からのテナント撤去要望』というものが最たる原因であり、サ●マイだけではなく隣の難波ロ●ッツとスタジオ・サ●ロック難波も同じ理由で危ない状況であった。
最初は2月末だった話が3月末になり、そして3月17日に事態は大きく動いた。サ●マイの閉店日程がわかったのだ。

4月3日土曜。

これには正直な話が安堵した。様々な人に協力してもらい、NGだった場合の場所は用意できていたのだが、色々な問題を考えるとやはり厳しい。3月一杯になったとしても、どうにかならないものかと模索していた日だったのだ。
そして隣の難波ROC●ETSが四月末まで。さらにはsub●ock難波も閉店を覆しての復活続投。いや、大逆転的な展開。手を挙げて喜びたいところなんだけど、なんだかとっても違和感。
あれ?ス●ジオとサ●マイの場所を先に貸主に返して、ロケッツ単体で縮小してどうの~って話じゃなかったっけ?と頭に浮かぶ疑問。その理由を尋ねると現在借りている場所をバラバラにして返すことは不可能になったとのこと。中途半端に返してもらっても貸主的に困りますってことね。なるほど。わからんでもない。つーことは、3日以降のサ●マイ跡地も返さないってことで・・あれ、おかしくないか?
と、ここでお隣の店長様から爆弾どーん!

「sa●maiはとりあえず入ってるだけの営業になるわー。人件費かかるし、営業しても採算性がないからという判断やね。d-stはスタジオなら人件費かからんし、誰か広いとこ使いたい奴がいればスタジオで。bar側は倉庫にするかもしれん」

・・ああ、なるほど。幾つか譲って話はわからなくもない。
確かに一カ月先しか見えないクラブで出来ることなんて限られてる。僕自身、元々サ●マイ入ってた話を手伝ったり、他の箱で普通に出演してたりもするし、週末で店をOPENさせることができる日程は限られてくる。平日は限界あるし、なにより一カ月切ってる。スタッフも既にいないに等しいし、現時点で残っているパーティーも4月3日のみ。確かにそれができればいい。いいんだけど・・この報告ってなんで会社から僕のところに直接ないの?ありえなくないか、これ?
さらに引っ掛かるのが“採算性がない”という部分。ならスタジオで営業したほうが採算性あるのか?と。一室しかねーんだぞ。んなわけねーだろ。怒りは会社に直接言うべきだから言わんでおこうかと思ったけど少しだけ突っ込んでみる。と、、、、、

「営業すればするだけ赤字やから」

はあ?????????
意味がわからん。そんなわけがないだろう。
そりゃ入らない日もあれば、入る日だってある。売上がいい日も悪い日もある。
場合によっては赤字だった日もあるかもしれない。僕がきた初期にやってた月曜のNOFFとかぶっちゃけ赤でしたよ。けど、あれがあったのとなかったのとじゃ違う。そしてどう考えたって営業すればするだけ赤字なんてことはありえん。どう考えても絶対的にありえん。普通に考えて真っ当に営業したら当り前のように黒字に近づくだろうよ。小学生でもわかる。
サ●マイという場所に来る前からの付き合いも考えると約三年。なにを見てこの人は僕を誘い、なにを考えてあれこれと話してきたのだろうか?ここにきてまったくわからなくなった。
この納得はおろか、理由にすらなっていない理由がサ●マイを閉店する理由なのか?2月以降色んな人に謝って、協力してもらったり、他の箱探しては事情を説明したり、場合によっては泣いてもらったりした理由がこれなのか?営業すればするだけ赤字。そりゃいかん。どうしようもない。そんなの別の理由がない限りは2秒で閉店すべきだ。けどなぁ、何度でも言ってやるよ!そんなわけがない!そんなわけがねえだろう、クソ野郎が!!!

この後も幾つかのやり取りは続いたが、僕も完全に苛立ってしまっていて、なんだかあまり真っ当な会話といえるものではなかった。出来る限り感情を殺した感情的な質問。答えともなんとも言い切れない無言。場の空気的に変化していく会話の主題。無意識ながらに落としどころを見つけようとしているのは互いに明確で、それは想定外の現状をリセットしようかとするような行為だった。

聞き流すということも・・あるいはできたのかもしれない。
少なくともそれが一番大人な選択肢だった。4月3日までやれたらいいというのは、4月末の某企画が流れた時点で僕が繰り返していたことではあったし、閉店することそのものに異存を持っているわけではないのだ。仕方がないものだと既に割り切っていた。過程が変化したところで結果は同じなのだから、どうでもいいだろうと飲み込んだら良い部分だったのかもしれない。
冷静に判断するとそういう箇所なのだけれど、やはりどうにも気持ちとしては納得のいかないものがあった。繰り返すことになるが、真っ当な説明がない。閉店する理由すらまともにわからない。というか、上記の理由は既に説明することそのものを放棄しているものとしか思えない。
こんなことを確認するために買ったわけではなかったんだけど、今回の騒動の一部を収めておこうとポケットに忍ばせていたicレコーダーに録音された会話がそれらを余計に膨張させた。何度か会話を繰り返してみる。何かが擦れるガサガサという音の向こうから聞こえてくる声はやはり事実を事実として突き付けてくる。「ああ、、これはやっぱり・・駄目だなぁ」と僕は思った。大人になるようなところではない。しっかりと中指を立てるべき箇所だと。そう僕は僕に確認したわけでこのBLOGを書いているわけである。



これは・・幾らかの人の気持ちを踏みにじることにもなるのですが、それでも少しだけ書いて残しておこうと思います。
今の場所で働くきっかけになった一つはかつて自分と何人かの友人でやっていたanというpartyで、それはSA●MAIではなくて基本的にro●ketsでやっていました。正確にはFLATtでやっていたpartyをFLATt消滅後にro●ketsで継続させたものでした。
ただの学生パーティーに毛が生えたような内容の上にそこまで集客があるわけでもない。それを器用に立ち回れるわけでもなければ、その時々の空気を読めるわけでもない。ただ、ポテンシャルだけはやたらとあって(大事ですけどね、これ)それオンリーでがむしゃらにやっていたなぁーと思うFLATt消滅直後のPARTYを快く好条件で受けてくれ、大抵の面倒な無茶振りに答えてくれたro●ketsに純粋に良い箱だなーという気持を抱きました。
あの頃の気持ちを否定するつもりはないのですが、それでも今となってはそう思わざる得ない部分があります。あの時、僕の目は節穴だった。そう思わなければやってられない部分もある。
もちろんro●ketsでやっていた過去を否定することは先にでたNOFFを否定するのと同じで、それは今日がないのと同じである。PARTYでいえばnotaとかもやれてないしね。
過去は全てがあるからこその今だ。そうなんだけど、それでもきっとあの頃の僕の目は節穴だった。そう思わざる得ない。それも今だ。

少なくとも今の僕にとって、間違いなくあの難波ro●ketsという場所はクソです。それ以外の何物でもないし、二度と何もやりたくない。音がいいってだけじゃ補えない部分は幾つもある。哀しいけれど、それは今における僕にとっての事実だ。

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