2010/02/27

COS/MES - GOZMEZ LAND - CHAOSEXOTICA - RELEASE PARTY




2010.03.06.SAT
COS/MES--GOZMEZ LAND-CHAOSEXOTICA--RELEASE PARTY
at SAOMAI

ADV/2000YENw1D ADM/2500YENw1D
OPEN/22:00

-----DJ-----
COS/MES-FLATIC+5ive-(iseneehihinee/iiFuniki/SWC)
MONGOOSE(newtone records)
Zecky(DISCOSSESSION)
DAISUKE KAKIMOTO(Fluid/NKC/METRO)
MIZO

-----SECOND FLOOR DJ-----
GOTHAM (RECORD SHOP r.g.)
シオ☆コショウ(SUKIMA)
SAKANA(ELELEL)
LoSHi
BIOMAN(BIO/from neco眠る)
SAECO(CREAMS)
sickbowie(VIRGIN)

-----DECO-----
m◎m◎(mt.chill/クジラウオ)

-----FOOD-----
クスン

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■COS/MES(iseneehihinee)■
メンバーは他社比社所属の5ive と flatic。
house/nu disco/cosmic/nw/rave/hip hop/black music/rock/worldなど幅広いジャンルを吸収し、サンプリングとリエディットを軸に独自のビートサイエンスでアウトプットする音楽製作・DJ デュオ。
現在までの主な作品は、07年1st アルバム「OST/ Sadistic Skatepark」(FUNiKi/SWC)をリリース。
08 年スウェーデ ンのディスコダブ系レーベル High Feelings から7inch「Sadistic Skatepark」。同盤収録の Fanfare Maniac は Ame のチャートに ピックアップされ、Build The Band は Prins ThomasのmixCD Prins Thomas Mixes Live At Robert Johnson Vol.2 に収録されるなど国内外で高い評価を受ける。
09年6月に SWC からmixCD「VOCAL HOUSE(DUB)」をリリース。10月にSWCから2ndアルバム「Gozmez Land -Chaosexotica- 」をリリース。他にもMule Musiqのコンピ「I'm Starting To Feel Okay Vol.3」にNatural Lifespan、円高ドル安の「PROMOBAN VOL1」に田端 (COS/MES REMIX)で参加。NYのTim SweeneyのラジオショーBeats In Spaceに参加。
2010年にはeneからリリースされるTIAGORIDERにリミックスで参加。「Gozmez Land -Chaosexotca」はLovefingersの新レーベルESP Instituteからライセンスリリースされる。
http://underground.jp/cos/mes/
www.myspace.com/cosmes
http://www.myspace.com/soundmore


■MONGOOSE(newtone records)■
関西圏のコアなパーティー・ピープルの現場感覚と、抜群の嗅覚から生み出されたVINYL POWER SPOTTTTT 大阪NEWTONE RECORDS代表。国内のアンダーグランドな場で活躍中のDJ、クリエイター、そしてピュアな音好きに支持される。MONGOOSE名義でDJとしても活動中。 オルタナティブなハウス-ディスコの感覚に刺激され、ありとあらゆる音楽の中から、ナイスなグルーヴを発掘中!
http://www.newtone-records.com/

■Zecky(DISCOSSESSION)■
91年、それまでのミュージカル・ハーデスト・ライフの帰着と して、高名な刺青師に師事。 その後、欧米のタトゥー・コンベンションやショップなどで伝説的アーティスト達と交流を深める。 96年 国内に欧米式タトゥー・ショップをオープン。
当時としては画期的な発想とスタッフの人選を誇り好評を博す。
現在は、アンダーグランドの可能性にテーマを絞り、オン・ザ・ロードでの活動を主軸としている。
彼の身体を覆う刺青の博物館的点数と内容は、これまでの特異 な履歴を表象している証左でもあり、 エスタブリッシュメント
な身体論に対するアウトサイドからのフィールドワーク的実践 としての「刺青」 を展開できる数少ないアーティストである。
タトゥー、デザインの他に大学での講演やイタロディスコ、コズミック、バレアリック等オブスキュアなダンスミュージックの国内でのパイオニア、DISCOSSESSION(Crue-L)のメンバーとしてDJ、Guitaristとして 音楽活動もしている。 これまでにDIGTHEDISCOからZecky名義で2枚のミックスCD、 Crue-L RecordsからDISCOSSESSIONで12inchシングルx2、V.Aをリリースし、Jazanovaチャートインする等、世界中からのレスポンスがきている。
08年12月にはJoel Robuchonで行われたLOUIS VUITTON主催、SOFIA COPPOLAのプライベートパーティーでDJを勤め、現在はプロデュースやソロバンド楽曲制作等を進行している。
http://www.myspace.com/discossession
http://www17.ocn.ne.jp/~t.com/

2010/02/26

クラブサオマイ実録ドキュメント『シリーズ・明日が見えない』

明日がみえない状態が続いているクラブ“末期”サオマイで、今だからこそのタイトルをシリーズで2月末の日曜から始めようと思います。


クラブサオマイ実録ドキュメント
『シリーズ・明日が見えない』

基本的に箱代とかノルマとかは無。時間帯やチャージ設定もおまかせ(24時間とかは応相談)
日程は現在空いている三月の日時(僕が予定ない日)の全てが候補で、基本的にはBAR側のみ。サオマイという場所以外にオプションでついてくるのは店にあるDJ機材全部と僕(店長)のみ。
僕を何処に配置するかは企画者にまかせるとして、DJ機材と僕以外で必要なものはあれば最低限の別途代金な感じで営業するスタイルのシリーズです。
条件は僕が絶対的に楽しくないのは却下。否定するわけじゃないけどサ●ケとか却下。
仕事な一面も否応なくあるんだけど、こんな条件で明らかに面白くないのはやらん!つーか、やれん!

チャージフリーでDJのみなら僕がPAもBARもやればいいので、オプションのみでOK。
PA欲しいって人やBANDを真っ当にする場合はPA料金だけ別途必要。チャージを取ってやりたい場合はキャッシャー要員の日当だけ別途必要。と、STAGE側も音出して利用する2FLOOR使う場合も別途必要な感じで(1人でBARやりながら2FLOORみるのは厳しい。つーか、僕が楽しくない)
必要経費を差し引いたチャージ(とる場合)は全部バックします。

あえて書いてないこともあるので「えっ、この場合は?」という突っ込みどころもあると思いますが、そういうのは随時質問受け付けるので、下記のメアドなりtwitterなり電話なりで連絡取って確認してください。やるって人も同じように連絡ください。
loshi?musicstuff-pro.com(?は@に変換してください)


ちなみに候補である現在の3月空き日程は以下な感じで(2月の時点で別の場所に流れたり話自体を飛ばしてしまった日程は基本的に埋めないので外してます。あと、僕が用事あるとこも)

2日、3日、4日、7日、8日、10日、11日、16日、17日、29日、31日。

ブッキングするとこもあるかもしれんので、たぶん適当に埋まっていきます。
31日はラストデイになる可能性も有(笑)やりたい人いたらなんかやってください。

メール

mixiを経由して地元の友人からメールが届いた。
「元気ですか?」に近況と少しの質問を添えた何気ないものだったのだけど、なんの前触れもなく届く何気ないメールというものはなんだか嬉しいもので「正月に届く年賀状ってこういった感じなのかな?」と考えたりして、そうだとしたら悪いもんじゃないなと、人生ではじめて年賀状に価値を見出すことができた。
「これは単純に歳を食ったのかもしれないな」
頭を巡った思考に対してそんなことを思いつつ、質問への答えを探ってはこの数年会った記憶のない人達やそこに付随する当時の出来事、そのほか幾つかのことを思い出してみる。

職場から失踪してしまい、ご両親から滋賀県警に捜索願いをだされていたのを大阪の友人宅で保護。天王寺の駅前で長時間説得して帰宅させた奴。
クリスマスだかクリスマスイヴだかにMETROまでブルーハーブを見に行って、当時の彼女に「BOSS THE MCと私、どっちが大事なの!」と切れられ、躊躇することなくボスを選んでた奴。
梅田のカフェで長時間にわたり湘南ノ風・若旦那について熱く語ってくれ、まったくもって湘南ノ風というグループは知らないにも関わらず若旦那はアイパーだということを僕の記憶に植え付けてくれた奴。
知らんうちにマネーな臭いのする結婚をかましてくれちゃった奴。
特に仲良くもないのに、半年に一度ぐらいのペースで「大学いってるよな?女を紹介してくれないか?」という電話だけをしてくる奴。
当時住んでいた大阪某所のマクドナルドで再会。軽く雑談をした数ヵ月後に天王寺の駅前でなんとなくTELすると、何故か「二度と電話してくんな。マジでお前みたいなのと関わりたくない。死ね!」とブチ切れ。冷静になって考えてみるも、どこをどう考えても切れられた理由がいまだに謎の奴。

他にも色々といるが、冷静に考えてみると、もう誰一人としてまともに連絡とっていないんだなーと。
ケツの二人はともかくとして、なんだか久々に会って話したくなった。
そういった気分になっただけで実際に話をすることができるのは一人か二人かなんだろうけど。
そういう気分になるのは悪いもんじゃないなーと。今だからかもしれないが、今は確かにそう思うのだ。

2010/02/23

真っ昼間に馬鹿と対面。

「沖縄でライブハウスやりたい。水着の女の子にたこ焼き焼かせてな。絶対流行るゾ」

ここ最近は僕にマネー的なものすらまともに払っていない馬鹿な会社の馬鹿な社長がフルスロットルの笑顔で吐いた名言に我が耳を疑った2010年の2月22日昼。その名言の数分前に僕は自分が店長という肩書で働くサ●マイという店の三月継続を同じ口から聞いた。なんだか色んな事を疑いたくなるが、僕は僕の耳を信じることにして、ただ一つだけはっきりと確認できている事実を胸に刻んだ。目の前にいるこれは馬鹿である、と。

一般的には結構デタラメな生活をしている僕なのだけど、そのわりに意外と真っ当な社会性を持っていると自認している。生活はグチャグチャ、飯はコンビニと外食中心、洗濯物は阿呆のようにたまり、箸は洗うのが面倒だからとオンリー割り箸、一番買う比率の高い新聞はもはや新聞かどうか窺わしい大スポ(東スポ)なのだけど、そのわりには意外と真っ当な社会性をたぶん持っている。少なくとも店がつぶれるかどうかの話を真っ昼間からしている最中に水着の姉ちゃんにたこ焼き売らせる話なんぞ僕はしない。それは間違いない。

「誰がやるんですか、そんなの」
秘書なのか、事務なのか、ただのラマンなのか、未だにポジションのよくわからない年配の女性がこれに突っ込みをいれる。
そこに漂う安堵感。生温い空気。それらは『ここ、笑うところだゾ!』とTVにおけるテロップの如く僕に優しく教えてくれるのだが、真っ昼間から中年のリアル吉本新喜劇に付き合う気持ちはさらさらない。右から左にその空気を軽く受け流し、申し訳程度に口から乾いた笑いを発しておいた。


この先の人生、僕が何かの間違いから小堺一機の隣でサイコロを転がす機会に恵まれたとして、サイコロの目が「馬鹿とはなんですか?」というテーマを示したときに、もう間違いなく僕は目の前にいるこれを思い出して意気揚々と馬鹿について語るのだ。そのときのためにこの馬鹿のエピソードは大事にとっておくとしよう。数年後、人生の肥やしになっていることを祈って。

2010/02/13

何度目かのblog

何度か始めては何度か止めてみたblogを性懲りもなく作ることにした。なんてことはない。そういった気分だったからだ。


考え事が出来ると何処かに何かを記したくなる。

それは自分にとって癖のようなものであり、物事が進んでいる時よりも立ち止まって物事を考える時期のほうが何かを記したくなる。
考えるなんて行為はなにかしらの先へと進むために繰り広げる行為であり、どちらかといえば立ち止まっている時よりも進んでいる時のほうが重要で、また進んでいる時のほうが考えているはずなのだけれど、考えているという認識をしているのは圧倒的に進んでいる時ではなく立ち止まっている時である。
『考え事が出来る』というのは考えるという行為そのものではなく、考えるという行為を認識したときに起こり得る現象であるわけだ。
と、そんなことを書いてしまうと、立ち止まったときに何かを記したくなるようであり、ここで何かを書くときは立ち止まっている期間になってしまいそうで、作った早々に『ここは不毛の地である』ということを指先確認するような気持ちになってきたので、まあ単純に『何かを記したくなったのだ』とシンプルにまとめてみることにする。


そう、僕は何かを記したくなったのである。
なんてことはない。そういった気分だったからだ。


まあ、目的だけでいえば他にもあるのだ。
2010年の2月中旬。間違いなく僕は人生何度目かの岐路に差しかかっていて、目の前にあったはずの橋が崩れ落ちるのを呆然と眺めながら「ああ、馬鹿ってやっぱりいてるんだ。残念だなぁ」なんて思ったりしつつ、右に行くか、左に行くか、穴を掘ってみるか、イカロスのように空を飛ぶことを試みるか、掟ポルシェを見習って男は橋をつかわないのかを考えたり考えなかったりしながら「うわー、コレどうしようかな」と立ち止まって考えているわけであり、とりあえず立ち止まったのだからblogでも作ってみようと思い立ったのだ。
目の前にあった崩れ去った橋の向こうには自分なりに見えてるものもあった。そこにはもうこの場所からじゃいけないのだろうけど、それでも踠いてみる、それはきっと大事なことでこのblogはそのために必要なはずだ。