2010/03/03

一人暮らし自炊論

近所のスーパーで購入した『パックde便利 かぶら刻み漬』がズッこけてしまうほど不味くてびっくりした。
いくら便利だろうが、食えないほど不味いなんて本末転倒もいいところだ。てか、パックのなにがどう便利なんだ?と。よくわからん。

そもそも漬物なんて居酒屋以外ではここ数年ほとんど縁のなかったものを買うことにしたのは、最近の懐事情からできる限りの自炊を心がけているからだ。
まあ、自炊といっても卵かけご飯とチャーハン以外作っていないのが現実。炊きたてなら卵かけご飯。半日保温したり冷えたらチャーハン。実に合理的で無駄のない自炊LIFEである。
学生時代から続く一人暮らしでレパートリーは他にもあるのだけど、僕が持っている一人暮らし自炊論として『自炊はできるかぎりストイックに攻めろ!』というのがあって、「○○が食べたい」なんて気持で自炊なんてするもんじゃないと思っている。そんな生半可な気持で自炊に挑むと痛い目にあうぞ!と。僕は何度もその痛い目を我が身で味わっていて、その積み重ねが自炊における今日の僕を育ててくれたといっても過言ではない。忘れてはならない。食材は腐るのだ。

久し振りに冷蔵庫を開けた時のなんともいえない異臭。紫とも黒ともいえない独特な発色で僕を迎えてくれる肉。ギリギリ原型を留めている野菜。賞味期限は半年前のパンパンに膨れ上がった牛乳。もう一度言っておく。忘れてはならない。彼らは消費しなければ腐るのだ。その命は決して長くはない。桜が咲いては散るように美味しく食べられる期間は極めて短いのである。
しかしながら、僕たちはそれなりに忙しい生物であり、毎日のあれこれに追われていると「あの肉そろそろ食べないと」とか「牛乳もう空けないとヤバいな」なんてことは頭の端っこにも残っておらず、久し振りに冷蔵庫を開けてみた時にぶったまげてはおったまげるようなことになって、鼻をつまみながらトイレットペーパーでくるんではゴミ箱へポイっとさよならBye-Byeするのである。



あれだのこれだの作ろうとすると、ストックが増えて腐ることになるのだ。
ストックを腐る前に上手く消費できる技量や時間があればともかく、一人暮らしの人間にそんなものが携わっていることは稀だ。仮に今日は時間があっても、明日は時間がないかもしれない。疲れているかもしれない。自炊なんてしたい気分じゃないかもしれない。自炊するぞ!と決めていたところで明日なんてどうなっているかわからないのが現在社会。様々な展開を予測し、無駄をなくした上でできる限り自炊をするという考えのもとで育った一人暮らし自炊論。その基本中の基本が『自炊はできるかぎりストイックに攻めろ!』なのである。

とはいえ、来る日も来る日も卵かけご飯とチャーハンだと当り前のように飽きがくるのは必然。それをごまかす為に相性の悪くなさそうな一品をランダムにチョイスするのがストイックに攻める上での応用編である。納豆、缶詰、ふりかけ、そして漬物。今回はこの漬物で残念なことに転んでしまったわけである。不味い。これはもう致命的に欠陥で、それをどうすることもできずにゴミ箱へポイっとさよならBye-Byeするしかない僕はまだまだ修行が足りない。不味ければ不味いなりにどうにかする。そんな大人になりたいと誓い、僕はまた炊飯器のスイッチをいれるのである。





・・・ちなみにこれはまた別の話なのだが、数年前はまともに料理のできなかった友人が「やっぱり夜は一汁三菜を心掛けてる」なんてことを言っていて、作る相手がいるってのは強いエネルギーなのだと感心することがあった。
極論だが、結婚という制度や恋とか愛なんて代物は真っ当な飯を家で食うために誰かは成立させたものであり、真っ当であることを求めるのであれば、人は一人で暮らすべきではないのかもしれないなーとか考えてみたり。
たぶん一人暮らしという行為はそれそのものがジャンクフード的であるのだ。深夜に誰にも咎められず大音量でエロ動画見るとか、入浴しながらカップ麺食うとか、基本的に全裸とか、うんこをなんとなくトイレ以外でしてみるとか、そういうのって誰かと暮らしてるとやはり難しい。逆にいえばそういった行為に対して“寂しい”といった感情を抱かず、なんとなくやっちゃってる人間。それが一人暮らしを続けられる人間ではないか?と。そんなことを思ったりするのだ。僕はフライパンでウンコを焼いたことはあるし、酔っぱらってウンコを玄関でしたこともあるが、あえてトイレ以外でうんこをしたことはない。頑張らないといけないな。そう心に誓い、僕はまた炊飯器のスイッチをいれるのである。二度目のスイッチ、それは説明する必要もなく冷凍用で僕はやはり卵かけご飯を食べている。朝だ。

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