2010/02/13

何度目かのblog

何度か始めては何度か止めてみたblogを性懲りもなく作ることにした。なんてことはない。そういった気分だったからだ。


考え事が出来ると何処かに何かを記したくなる。

それは自分にとって癖のようなものであり、物事が進んでいる時よりも立ち止まって物事を考える時期のほうが何かを記したくなる。
考えるなんて行為はなにかしらの先へと進むために繰り広げる行為であり、どちらかといえば立ち止まっている時よりも進んでいる時のほうが重要で、また進んでいる時のほうが考えているはずなのだけれど、考えているという認識をしているのは圧倒的に進んでいる時ではなく立ち止まっている時である。
『考え事が出来る』というのは考えるという行為そのものではなく、考えるという行為を認識したときに起こり得る現象であるわけだ。
と、そんなことを書いてしまうと、立ち止まったときに何かを記したくなるようであり、ここで何かを書くときは立ち止まっている期間になってしまいそうで、作った早々に『ここは不毛の地である』ということを指先確認するような気持ちになってきたので、まあ単純に『何かを記したくなったのだ』とシンプルにまとめてみることにする。


そう、僕は何かを記したくなったのである。
なんてことはない。そういった気分だったからだ。


まあ、目的だけでいえば他にもあるのだ。
2010年の2月中旬。間違いなく僕は人生何度目かの岐路に差しかかっていて、目の前にあったはずの橋が崩れ落ちるのを呆然と眺めながら「ああ、馬鹿ってやっぱりいてるんだ。残念だなぁ」なんて思ったりしつつ、右に行くか、左に行くか、穴を掘ってみるか、イカロスのように空を飛ぶことを試みるか、掟ポルシェを見習って男は橋をつかわないのかを考えたり考えなかったりしながら「うわー、コレどうしようかな」と立ち止まって考えているわけであり、とりあえず立ち止まったのだからblogでも作ってみようと思い立ったのだ。
目の前にあった崩れ去った橋の向こうには自分なりに見えてるものもあった。そこにはもうこの場所からじゃいけないのだろうけど、それでも踠いてみる、それはきっと大事なことでこのblogはそのために必要なはずだ。

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